『国宝』という映画を観てきました。評判に違わず素晴らしい映画だったのだけれど、ひとつだけ、劇中のある人物の行動について、よく分からない展開がありました。映画の中での説明が、私の目には皆無に見えて、映画の最後まで、どうして?という疑問はずっと残ったままでした。
レイトショーで観たので終電まで時間がなくて、一緒に行った友だちと早足で駅に向かいながら、そのことについて少しだけ話しました。「あれはどういうことなんだろう?」と、きっと眉間に皺を寄せて尋ねた私に友だちは、「こうだったからこうなったんだろうね」と、たった一言で答えのようなものをくれました。それで私は、すっと合点がいきました。それが正解かは分からないけれど、私の中では、それならば説明がつくなと思えたのでした。
映画を観てから二日ほど、それでもまだそのことを考えています。人の心の分からなさについて。人の行動の検討のつかなさについて。なるほど考えようによっては説明はつくけれど、たとえそうであっても、本当のところは誰にも分からないし、それはきっと、本人にとってさえもそうで。感情は複雑すぎる上に矛盾を孕んでいて、人間関係に於いては、その複雑さと複雑さが掛け算されるので、それはもう奇々怪々で当たり前だよなぁと、深淵を覗くような心持ちになります。そしてまた、この映画のつくりが、そのことについてほとんど何も説明していないこと自体が、その分からなさや検討のつかなさをそのまま表現しているようにも思えて、ぞっとするような心境にもなります。