繋ぐ

先日書いたクラムボンの文章を、あの時「クラムボンって何のことだと思う?」という問いをくれた小六のときの担任の先生に手紙で送りたくなって、母に、どうやったら先生の住所がわかるだろうと相談の電話を掛けました。懐かしいね、あのころ先生は幾つくらいだったんだろうねと話したあと、母が元教職員の知り合いに聞いてみてくれることになりました。

実はこの先生は、私が大学のときに一度、実家に電話を掛けてきて下さったことがあります。小学校を卒業して以来、お会いしたり手紙をやりとりしたこともなかったのに、それは突然にでした。電話の向こうの先生の声は、私を子どもの私に戻したけれど、先生は私を大人として話されるので、私はどんな言葉遣いで話せばいいのか戸惑ってしまって、とても緊張したのを覚えています。

大学生のころの私は詩を書いていて、月刊カドカワという雑誌に応募していた時期があります。毎月数篇が選ばれて、安西水丸さんのイラストと共に詩が掲載されるのですが、私も何度か載せてもらったことがあって、先生は、その内の一回をたまたま見つけて、私がまだ書いていることを知って嬉しかったこと、これからも書き続けられるように応援していることを、私に伝えるために連絡してくださったのでした。

先生のその言葉は、私という人間が、過去からまっすぐに繋がって今の私なんだということを、はっきりと自覚させてくれることになりました。書くことや読むことが好きだった小学生の頃の私が、今も同じように書くことが好きで、それを、今は遠い存在の先生が繋げてくれたように感じました。自分の人生のことを、広い宇宙空間のようなところに浮かぶ帯のようなものだと捉えたのは、この時が初めてだったように思います。ゆっくりと伸びていく帯の端に立ってときどき振り返り、過去のいろんな時の自分は、今の私とこんなふうにちゃんと繋がっているな、ここまで歩いてきたんだな、と確かめるように思います。

もしも先生に手紙を届けることができたなら、子どもの頃の私と今の私とがクラムボンで繋がっていること、それが先生のあの授業のお陰だということを知らせて、その幸せを感謝することができるのになぁと思います。