投稿者「mizzy375」のアーカイブ

知らない街の夜のこと

京都に出向く用があったので、それにかこつけて、息子の暮らすアパートに行ってきました。

夜更けに友人と別れてから、スマホの乗り継ぎ案内を頼りに、電車とバスを乗り継いで向かう途中、路線番号だけを見て乗ったバスはどうやら逆向きだったようで、待てど暮らせど、息子のアパートの最寄りのバス停の名前を告げません。地図も見ないで移動しているから、ここがどこかも分かりません。このまま終点の京都駅まで行ってしまうか、すぐに降りてやり直すか。一瞬迷ってから、大丈夫、最悪タクシーに乗ればいいんだから、と自分を励まして、降車ボタンを押しました。

バスを降りたらそこは、思ったよりも閑散とした通りで、一気に心細くなりました。信号機と街灯が、眩しすぎるほど照らしている横断歩道を渡り、反対側のバス停を探して歩きます。夜の街って、どうしてこんなにも、なんの手がかりもない顔をしているんだろう。話しかけても問いかけても、まるで返事が返ってこないような、簡単に人を迷子にしてしまう横顔をしています。突然、ずっと昔に暮らしていたボストンの街の、仲良しの友だちが暮らしていたアパートメントのあった通りのことを思い出しました。どうしてだろう?似ているかな?記憶の回路はいつだってとても不思議です。

しばらく待って、ようやくやってきたバスに乗り込みました。乗換案内で調べ直して、バス停に到着する時間を息子に知らせます。迎えにきてくれるかな? けれどバス停に息子の姿はなく、ちょっとだけ寂しくなりながらアパートの近くまで歩いていくと、見慣れた歩き方のシルエットが、こっちに向かってやってきます。「遅いー!」と言ったら、「15分やろ?」と言うので、LINEの送信履歴を見てみると、たしかに「15分着」と知らせており、今は13分。そっか、ちゃんと間に合うように迎えにきてくれたんだね、ありがとう。母はそれだけで大満足。

一緒にスーパーに行って、いつもどんな経路でスーパーの中を歩き、どんなものを買っているのかを、おしえてもらいました。一人暮らしをはじめて一年ちょっと。”知らない街だった街” が、息子にとっては、”オレが暮らす街” になったんだなと、そんなことを思った夜のことです。

人の心

『国宝』という映画を観てきました。評判に違わず素晴らしい映画だったのだけれど、ひとつだけ、劇中のある人物の行動について、よく分からない展開がありました。映画の中での説明が、私の目には皆無に見えて、映画の最後まで、どうして?という疑問はずっと残ったままでした。

レイトショーで観たので終電まで時間がなくて、一緒に行った友だちと早足で駅に向かいながら、そのことについて少しだけ話しました。「あれはどういうことなんだろう?」と、きっと眉間に皺を寄せて尋ねた私に友だちは、「こうだったからこうなったんだろうね」と、たった一言で答えのようなものをくれました。それで私は、すっと合点がいきました。それが正解かは分からないけれど、私の中では、それならば説明がつくなと思えたのでした。

映画を観てから二日ほど、それでもまだそのことを考えています。人の心の分からなさについて。人の行動の検討のつかなさについて。なるほど考えようによっては説明はつくけれど、たとえそうであっても、本当のところは誰にも分からないし、それはきっと、本人にとってさえもそうで。感情は複雑すぎる上に矛盾を孕んでいて、人間関係に於いては、その複雑さと複雑さが掛け算されるので、それはもう奇々怪々で当たり前だよなぁと、深淵を覗くような心持ちになります。そしてまた、この映画のつくりが、そのことについてほとんど何も説明していないこと自体が、その分からなさや検討のつかなさをそのまま表現しているようにも思えて、ぞっとするような心境にもなります。

ズッキーニ

このあいだSNSで紹介されていたズッキーニを使った料理が簡単で美味しかったので、その料理を見た瞬間に頭に浮かんだ友だちに、これ美味しかったよーとLINEで知らせました。

ずっと前、息子がまだ少年野球をやっていた頃、息子を持つ母親どうし、慰めあったり励ましあったりした、戦友のような友だちです。当時、ときどき彼女のお宅に上がって、ちょっとだけお茶するってことがありました。そんな幾度かのお茶の時に彼女が、おやつなんにもないねんと言って、冷蔵庫にあった、ズッキーニを輪切りにしてオリーブオイルで焼いて塩をしただけの料理を、小さなお皿に盛って出してくれたことがありました。彼女はズッキーニが好きで、ズッキーニをこうやって食べるのが好きなんだと話してくれました。あの頃の私たちが、泣くほど悔しかったり切なかったりしたことの内容はほとんど思い出せないのに、麦茶を飲みながらズッキーニを食べた昼下がりのその時間のことは、きのう読んだ小説のワンシーンくらいの解像度で思い出すことができます。

『結局ズッキーニはカボチャなのかナスなのかキュウリなのか?』と、彼女から返事がきました。前に近所の韓国料理店に一緒に行ったときに、カボチャのチヂミっていうメニューがあって、カボチャをチヂミに?って驚いて注文してみたらズッキーニのチヂミが出てきて、なるほど韓国ではズッキーニのことをカボチャって呼ぶんだねということになったのを彼女が覚えていて、それでそう尋ねてきたのです。私は5秒だけ考えて、『キュウリ的なナス、もしくは、ナス的なキュウリ』『カボチャの要素はゼロです』と答えました。『甘いか甘くないか、で、カボチャじゃないと決めたんやね。賛成です』と返事がきて、彼女のこういうところをどんなだと形容すればいいのか全くわからないけれど、ともかく、私は彼女のこういうところを本当に好きだなぁと思いました。

ちなみにそのSNSで見たズッキーニの食べ方は、そのまま15分ほど塩茹でしてから適当な大きさに切り、塩とオリーブオイルで和え、食べる時にレモンをキュッと絞っていただく、というものです。ズッキーニは油と相性がいいんだよね、そこがナスと一緒だよね、という結論に至って、それから、また近々会おうと言いあって、やりとりを終えました。

繋ぐ

先日書いたクラムボンの文章を、あの時「クラムボンって何のことだと思う?」という問いをくれた小六のときの担任の先生に手紙で送りたくなって、母に、どうやったら先生の住所がわかるだろうと相談の電話を掛けました。懐かしいね、あのころ先生は幾つくらいだったんだろうねと話したあと、母が元教職員の知り合いに聞いてみてくれることになりました。

実はこの先生は、私が大学のときに一度、実家に電話を掛けてきて下さったことがあります。小学校を卒業して以来、お会いしたり手紙をやりとりしたこともなかったのに、それは突然にでした。電話の向こうの先生の声は、私を子どもの私に戻したけれど、先生は私を大人として話されるので、私はどんな言葉遣いで話せばいいのか戸惑ってしまって、とても緊張したのを覚えています。

大学生のころの私は詩を書いていて、月刊カドカワという雑誌に応募していた時期があります。毎月数篇が選ばれて、安西水丸さんのイラストと共に詩が掲載されるのですが、私も何度か載せてもらったことがあって、先生は、その内の一回をたまたま見つけて、私がまだ書いていることを知って嬉しかったこと、これからも書き続けられるように応援していることを、私に伝えるために連絡してくださったのでした。

先生のその言葉は、私という人間が、過去からまっすぐに繋がって今の私なんだということを、はっきりと自覚させてくれることになりました。書くことや読むことが好きだった小学生の頃の私が、今も同じように書くことが好きで、それを、今は遠い存在の先生が繋げてくれたように感じました。自分の人生のことを、広い宇宙空間のようなところに浮かぶ帯のようなものだと捉えたのは、この時が初めてだったように思います。ゆっくりと伸びていく帯の端に立ってときどき振り返り、過去のいろんな時の自分は、今の私とこんなふうにちゃんと繋がっているな、ここまで歩いてきたんだな、と確かめるように思います。

もしも先生に手紙を届けることができたなら、子どもの頃の私と今の私とがクラムボンで繋がっていること、それが先生のあの授業のお陰だということを知らせて、その幸せを感謝することができるのになぁと思います。

クラムボン

先日ひょんなことから、宮沢賢治の「やまなし」を読むことがありました。

「やまなし」は小学校6年生の時に国語の授業で読んで以来、ずっと心のどこかに引っかかっているおはなしです。当時の私は、このおはなしのことがよく分かりませんでした。泳ぐことが好きだったので、水の中にいる時の、光や影の揺らぎが美しいことは知っていて、おはなしの中で描かれる景色は鮮明に想像することができたのですが、授業の中で担任の先生がみんなに問うた、「クラムボンって何のことだと思う?」ということへの答えが、どうしても分からなかったのです。最終的には「泡」と答えたのだけど、答えながらも全くしっくりこなくて、他の人たちの答えの中にも、それだ!って思えるものはひとつもなくて、でも先生は最後まで、その答えを教えてはくれませんでした。答えはないよ、と言ったと思います。

大人になってからもずっと、クラムボンという言葉を見聞きする度に、クラムボンって本当は何のことだったんだろうと、ぼんやり考えてきました。

今回も、ひさしぶりに「やまなし」を読んでから、またクラムボンのことを考えていたのですが、今日、ふと、あれは蟹の兄弟のお母さんのことなんじゃないか?と思い付いて、そう思ったら、もうそうだとしか思えなくなりました。

『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『クラムボンはわらっていたよ。』
『クラムボンは死んでしまったよ………。』
『殺されたよ。』
『それならなぜ殺された。』
『わからない。』

あのおはなしに、お母さん蟹は出てきません。優しくかぷかぷ笑っていたお母さん蟹は、あのおはなしが始まるより前に、自然の掟で死んでしまったのだとしたら。 だからお父さん蟹は、カワセミがお魚を攫っていった時に、子どもらが、

『お父さん、お魚はどこへ行ったの。』

と尋ねるのに、

『魚かい。魚はこわい所へ行った』

と、湾曲した答えをしたんじゃなかったか?

今の私はもう子どもではないので、お父さん蟹の気持ちの方を想像して、そんなふうに考えてしまいます。そしてそう考えると、私がこのおはなしの中で一番好きなくだりが、もっともっと愛らしくて、少しだけ切ないものに見えてきます。

三疋はぼかぼか流れて行くやまなしのあとを追いました。
その横あるきと、底の黒い三つの影法師かげぼうしが、合せて六つおどるようにして、やまなしの円い影を追いました。
間もなく水はサラサラ鳴り、天井の波はいよいよ青いほのおをあげ、やまなしは横になって木のえだにひっかかってとまり、その上には月光のにじがもかもか集まりました。

かつて四つだった影法師が、いつか三つになったのだとしたら。

でもやっぱり、あのとき先生がおっしゃったとおり、きっと答えはないのだろうと思います。

京都と茄子

息子から夕方、『京都暑すぎる』『まだ6月って終わってる』とLINEがきました。このあいだ私が送ったまぁまぁ重要な内容のLINEには返事をよこさないで、こうして京都が暑いことはわざわざ知らせてくる。息子らしくてかわいくて、嬉しくなりました。

話したくなって、夕飯のあと電話してみました。暑くなってきたから、いよいよ灼熱の植物園に行ってみようと思っていること(訳が分からない)、ジメジメした暑さは苦手だけど、ジリジリ焼けるような暑さはいけると思っていたのに今年は無理っぽいこと(体力が落ちているのではないかと心配)、スーパーで見た茄子が美味しそうだったから食べたくなったこと(スーパーで茄子を見ているところを想像して寂しくなる)を話してくれて、茄子ってレンジだけで調理できる?と尋ねてきました。

息子が作れそうな、茄子を使った簡単料理をいくつか伝授しました。それ、揚げとか入れても美味そう、あと椎茸とか、と、私がいつもその料理に入れていた具材をスラスラと言ってきて、あぁ美味そうやなぁ、普通に食べたくなったから、今度帰ったとき作ってや、と言うのです。そんなんなんぼでも作ってあげるよと約束して電話を切りました。

買い物

朝、日課の散歩に出ようとして、けれども窓の向こうがあまりに晴れていて暑そうだったので、さすがにちょっと怯んでしまいました。気に入っていた日傘は去年壊れてしまって、それっきりまだ新調できていないのです。ちょっと前に、ネットで探してこれにしようって決めた日傘は、私にとっては少しお高くて、それでずっとぐずぐずして、なかなかポチることができていませんでした。

しかしもう、さすがに観念する時が来たようです。これ以上日焼けするわけにはいかないし、そもそも、この日差しの中を無防備で歩くことは、健康を目指しているのかなんなのか、ちょっと分からない段階に入っているなと思いました。今ポチらないとまたすぐに、もうちょっと手頃なものでもいいんじゃないかとか、もっとUVカット率に優れたものにすべきなんじゃないかとか思いはじめる危険性があったので、今!今買おう!と思って、朝の7時に、持ち手がバンブーの、とっても素敵な日傘をついに注文しました。

さっきクロネコヤマトさんがLINEで、明日届けるよー何時がいいー?って連絡をくれました。もちろん午前中の配達をお願いしました。めちゃくちゃ楽しみです。

梅の香り

梅干しを漬ける用の、完熟の南高梅が和歌山から届きました。部屋中に完熟梅の甘い香りが充満していると、とても幸せな気分になります。もう少しだけ追熟させようと思ってキッチンの隅に置いているのだけど、横を通りがかる度に、袋をのぞいて、そのかわいい色と香りに癒されています。

こんなに甘い香りをさせて、黄色くかわいく色付いている実に、明日は塩をしなければなりません。梅干し作りは、水が上がってくるのを見ているのも、紫蘇で赤く染まっていくのを眺めるのも、最後に天日に干すのも、その工程がすべて好きだけど、最初に塩を振りかけるのだけは、梅に申し訳ない気持ちになるから気が重いです。こんなことをするなんて、まるでひとでなしの所業だな、とさえ思ってしまうのです。

梅干しを漬ける時にはいつも、この世ではじめて梅干しを作ることを思い付いた誰かのことを考えます。いったいどんな流れで、こんなにもかわいくて甘い香りをさせている実に塩をして、漬物にしようだなんて思い付いたんだろうなぁって不思議な気持ちになるのです。そして同時に、でもその誰かのおかげで、大好きな梅干しが今この世に存在するわけで、あのとき梅干しを発明してくださってありがとうって気持ちにもなります。

傘の中の音

雨に打たれながら咲いている紫陽花があまりに可愛かったので、今年もまた動画を撮りました。住んでいるマンションの庭に咲くなんの変哲もない普通の紫陽花が、私には毎年、とてつもなく可憐に見えるのです。薄いピンクの花と薄い紫の花の両方を撮りました。花全体を撮って、それから、花にぐっと近づいて、花の中を覗くようにして撮るのが好きです。そうすると、花を構成するひとつひとつのパーツの造形の美しさがにわかに立ち現れて、何度でもはっとしてしまいます。

部屋に帰って撮った動画を見ていたら、差していた傘を打つ雨音が、紫陽花のうしろにはっきりと録れていました。ポツポツ、パラパラ、トットットッ。さっきは撮ることに夢中になって気付かなかったけれど、雨足はずいぶんと強かったようです。

何年か前に息子が、エモい音聴かせたろか?と言って、自分のスマホに繋いだイヤホンの片方を渡してきたことがあります。エモい音ってどんな?と思いながら聴くと、それはこれと同じような雨音でした。その時息子はそれを、『傘の中の音』と言ったと思います。

傘の中で聴く、雨粒が傘を叩く音。傘が雨粒を弾く音。なんでもないそれを、息子はエモい音、と呼び、私は、訳もなく好きな音、と呼びます。

Studio D403のこと

2025年5月末をもって、Studio D403オンラインストアは閉店いたしました。

13年という長い時間を、お客さまと共に過ごせたことは、この上ない幸福なことであったと思っています。今まで本当にありがとうございました。

この先のことは、実はまだあんまり見えていなくて、しばらくはゴソゴソしながら、少し休んで、ゆっくりいろんなことを考えてみようと思っています。

すこしだけ気掛かりなのは、サイズアップを前提にしてシリーズでお求め頂いた方や、ご兄弟ご姉妹でおそろいにして頂く予定だった方には、申し訳ないなぁという気持ちがあります。また、修理のご依頼についても、窓口をなくしてしまうのはどうかな…という気持ちもあり、下記のとおり、しばらくの間はD403としての窓口を開けています。なにかありましたら、こちらからお問い合わせくださいませ。生地の在庫と相談にはなりますが、できるだけご希望に添えるようにしたいと考えています。また、今後の活動について、何かご案内ができそうなときには、お知らせをお送りできればと思っています。もしご希望いただけるようでしたら、下記のフォームからご登録くださいませ。

最後に…

このサイトでは日々の何気ないことを記録のように書いています。『今ここ』をたしかめながら、日々を大切に生きたいです。


 

【Studio D403 Creema店】
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何かご連絡をいただく場合は、下記のメールアドレスまでお気軽にどうぞ。
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