京都に出向く用があったので、それにかこつけて、息子の暮らすアパートに行ってきました。
夜更けに友人と別れてから、スマホの乗り継ぎ案内を頼りに、電車とバスを乗り継いで向かう途中、路線番号だけを見て乗ったバスはどうやら逆向きだったようで、待てど暮らせど、息子のアパートの最寄りのバス停の名前を告げません。地図も見ないで移動しているから、ここがどこかも分かりません。このまま終点の京都駅まで行ってしまうか、すぐに降りてやり直すか。一瞬迷ってから、大丈夫、最悪タクシーに乗ればいいんだから、と自分を励まして、降車ボタンを押しました。
バスを降りたらそこは、思ったよりも閑散とした通りで、一気に心細くなりました。信号機と街灯が、眩しすぎるほど照らしている横断歩道を渡り、反対側のバス停を探して歩きます。夜の街って、どうしてこんなにも、なんの手がかりもない顔をしているんだろう。話しかけても問いかけても、まるで返事が返ってこないような、簡単に人を迷子にしてしまう横顔をしています。突然、ずっと昔に暮らしていたボストンの街の、仲良しの友だちが暮らしていたアパートメントのあった通りのことを思い出しました。どうしてだろう?似ているかな?記憶の回路はいつだってとても不思議です。
しばらく待って、ようやくやってきたバスに乗り込みました。乗換案内で調べ直して、バス停に到着する時間を息子に知らせます。迎えにきてくれるかな? けれどバス停に息子の姿はなく、ちょっとだけ寂しくなりながらアパートの近くまで歩いていくと、見慣れた歩き方のシルエットが、こっちに向かってやってきます。「遅いー!」と言ったら、「15分やろ?」と言うので、LINEの送信履歴を見てみると、たしかに「15分着」と知らせており、今は13分。そっか、ちゃんと間に合うように迎えにきてくれたんだね、ありがとう。母はそれだけで大満足。
一緒にスーパーに行って、いつもどんな経路でスーパーの中を歩き、どんなものを買っているのかを、おしえてもらいました。一人暮らしをはじめて一年ちょっと。”知らない街だった街” が、息子にとっては、”オレが暮らす街” になったんだなと、そんなことを思った夜のことです。